私は昭和20年(1945)9月、東京大学を卒業した。私のすぐ下の弟で二男の崇信(たかのぶ)は陸士卒で少尉任官して、北満州の守備についていたが終戦直前に四国の高知海岸の守備に帰国していたため、戦死やシベリヤ抑留を幸いに免れた。戦後しばらくの残務処理の後、帰郷して父の仕事をたすけてくれていた。三男の琢也は学徒出陣<※1>から戻って京大法科へ、四男の昭二は海兵から戻って五高より九大へのコースをたどった。五男の銓之助(せんのすけ)や、その下の妹昌子などは中学1年や小学校2年であった。私は縁あって日清製粉へ就職したものの、東京の社会事情、食糧事情は最悪で、仕事らしい仕事もない日々で3年間の後、辞めさせて貰ったが私の人生では唯一の会社勤務となった。 |