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西の関と私

第2回

【絵との出会い】

私は趣味の欄には、いつも「絵画と投網」と書いてきた。元来運動が苦手で、なかでも足が遅かったため特に運動会などでは良い思い出が少ない。ただ、マラソンとか剣道とかは人並みで、後年高等学校ではボートの選手をしたこともある。5男1女の兄弟であったが、同じ兄弟でも、弟たちは短距離でも走るのが速く運動会でも家族を喜ばせていた。

昔の酒屋は書画、骨董に趣味のある人が割りに多く、床の間の南画などに何となく親しむ環境にはあった。その影響ではないと思うが、私は小さいときから絵を描いたり、観たりするのが好きであった。絵に興味を持った契機は、小学校時代に絵の上手な先生がいた影響が大きかったと思う。昔は書画の展覧会などへ出品のため、各学年から描き方や絵のうまい者を指名して、放課後に作品を描かされたものである。私もその中の1人に選ばれ、夢中になって描いた。そのおかげかクレパスなどの使い方を覚えることが出来た。その頃から私は絵をよく描くようになった。水彩はあまり得意でなく、スケッチは鉛筆やペンなどでしばしば描いてきた。今でも旅行に出かけるときなどは、スケッチブックなどを常に欠かさない。 

旧制国東中学校も絵のうまい先生がいて、指導を受けることが出来たが、何分上級学校への試験勉強があり、絵からはしばらく遠ざかることになった。昭和15年(1940)に第七高等学校造士館<※1>の理科甲類に入学したが、1年の時、週1時間のデッサンの授業があり嬉しかった。遠近感やボリュウムなど基礎的なことをある程度、勉強できたのは今で役立っていると思う。戦後も機会がある毎に絵に親しんで、当時の奈良や大和の周辺などは、今のように観光客が多くなくて、ゆっくりと落ち着いて絵が描けた。東大寺や唐招提寺、薬師寺なども自由に中に入って絵が描けて、今思うと夢のようである。また吉野などにも足を伸ばしたこともある。奈良戒壇院の四天王のスケッチや吉野の蔵王堂の仁王や法隆寺夢殿などの絵も今残っている。時々昔のスケッチ帳を出しては青春の頃を偲んでいる。最近は、たまの外国旅行の時など、景色や建造物等をスケッチしては楽しんでいる

※1第七高等学校造士館。鹿児島大学理学部の前身。

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