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西の関と私

第7回

【吟醸酒市販のさきがけ】

この十数年来、吟醸酒に対する世界の評価が次第に高くなり現在では吟醸酒ブームの観もある。全国各地の酒造家の間で吟醸酒の製造と販売についていろいろな試みがなされている。低迷を続けてきた日本酒業界にとっての一つのチャンスであり、浮上のきっかけになることを期待している。そこで当社が昭和38年(1963)に全国へさきがけて吟醸酒の市販を始めて、国東の一地方から日本の代表的な銘柄の一つになったこの40年間の経過を振り返ってみたい。

元来、吟醸酒の語源は吟味して造った酒の意味であろうが、現在、日本酒造組合中央会の表示基準では、吟醸酒とは本醸造の文字を使用できる清酒のうちで、精米歩合が60%(玄米を40%削ったもの)より白い白米を使用した、即ち米の芯の部分のみで造ったいわゆる吟醸造りをした清酒に限られるとなっている。また、50%より白い白米のものは大吟醸の大の字を使用できることになっている。

吟醸酒造りは上質の原料米をみがきにみがいて、手間暇かけて醸しあげる、いわゆる新鮮なリンゴのような香りと淡雪のように消えるソフトで上品な味を特徴とする清酒である。主に品評会出品用に特別に少量だけ造られてきたものである。大抵の酒蔵では門外不出としてそれを普通酒に混ぜるなどはしても、吟醸酒だけの正味を市販することはしなかったのである。

明治40年(1907)11月に醸造協会主催の第1回全国清酒品評会が開かれた。その時の賞状が当社の玄関に掲げてある。全国の酒造家が優劣を競うことになると、どうしても特別造りの酒の研究を誘発することになった。品評会の可否がやかましく論ぜられながら、また業界の栄枯盛衰、悲哀こもごもの歴史を綴りながら着々と出品酒造りの技術の進歩を続けていった。

その後の酒造用精米機の出現や酒造諸技術全般の発展により、良酒造りの技術は進んでいったと思われる。製造技術の粋の粋として芸術品とも言える吟醸酒が各地で醸出されるようになり、香味豊かな吟醸酒が鑑評会にもみられるようになってから、既に長い年月が経過した。昭和初期の吟醸造り競争の熱の入れ方は今も語り草となっているほどである。結果的には、吟醸酒と普通酒造りとの論争は品評会無用論となり、灘、伏見の大手蔵は品評会を敬遠して出品しないようになった。まさに吟醸酒は地方酒が守り育てたと言えるものである。

精米の見本 左から2つ目より、8分搗き92%白米、歩留り70%白米、歩留り40%白米

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