HOME … 【恩師 坂口謹一郎先生のこと】

西の関と私

第18回

【恩師 坂口謹一郎先生のこと】

昭和30年代は灘、伏見など大手メーカーが地方に進出した時代であったが、甘くて癖の少ない大手の酒質に追随する意見が強く、よく売れる酒が良い酒の同義語とも見えた。当時は吟醸酒の話など云々するのがはばかれるような空気があった。最近の地方酒の見直しや吟醸酒に対する認識などとは隔世の感がある。

そのころのこと、銀座の松坂屋の裏手に樽酒専門の店があった。たまの上京の夜は酒の勉強と称して樽酒の味を試みていた。その店でばったりお会いしたのが坂口謹一郎先生であった。大学時代の恩師で、発酵微生物研究の第一人者でお酒の博士としても著名な方である。卒業以来、全く学校に縁の無くなった昔の学生の私など覚えて居られる筈もなかったが、酒の勢いを借りてご挨拶した。

「田舎で酒造りをやっています。先生、私の造った酒を飲んでいただけますか」返ってきたのは「私は酒が好きですよ。真心のこもったお酒なら、まずくても飲みますよ」先生一流の、しかも温かいご返事でした。

早速その数年前から市販を試みていた吟醸酒の「秘蔵酒西の関」をお送りした。卒業以来20年にしてはじめて恩師の知遇を得たわけである。人の出会いの不思議さと言おうか。しばらくして届いたお葉書の墨の文字、

あたらしき うまさけのみち ひらかめと
 つくりいでましし 酒は秘蔵酒

本当に有り難いお言葉であった。つい昨日のことのような思い出である。

以後長い間、折に触れて数々のお言葉や励ましをかけて頂いたが、先生は昨年暮れに残念ながら亡くなられた。97歳であった。厳父を失ったような心境であり、心から冥福を祈っている。

一覧に戻る
  • 千三百年の祈り
  • 製品カタログ
  • 公式Facebookページ
  • Sakestagram
  • 萱島酒
類 豊後清明公式サイト