西の関ができるまで 国東という土地

その昔、古事記に記された12代目天皇の景行天皇が海路で巡航した際に、突出した半島を指し、「あの遠くに見えるのは国の﨑(東)か」と、言ったことが、名前の由来になったと伝えられる、国東半島。

‘国のさき’から見渡すのは、清々しく広く青い海。俗世と遮断されたかのような独特のこの地に、静かに伝えられ、根付いてきた信仰心。それは神と仏への祈りであり、自然への崇拝であり、先人たちへの敬いの心でした。

日本人の魂のような美しいこの国東の地で、美味しい郷土の味覚に合う日本の酒、九州型日本酒を萱島酒造は昔も今も変わることなく、造り続けています。

仏教文化が栄えた六つの郷

国東半島を巡ると気付くのが、独特の空気と世界観です。寺院、仏像、磨崖仏、路傍の石塔…などが至る所に点在し、この地に生きる人々の暮らしと悠久の時間の中に、神や仏が日常の中に溶け込んでいる事を感じます。
その国東半島は「六郷満山」という呼び名でも知られています。

六郷とは、安岐郷(あきごう)、武蔵郷(むさしごう)、国東郷(くにさきごう)、伊美郷(いみごう)、来縄郷(くなわごう)、田染郷(たしぶごう)の六つの地域のこと。半島の中央にそびえる両子山を中心に海岸に向かって広がる谷に、奈良時代から平安時代にかけて、多数の寺院、仏像が建てられるほど、仏教文化が栄えていたのです。

仏教文化が栄えた六つの郷

神と仏が共に在る地

国東半島の北西に位置する宇佐神宮は、日本全国にある約4万4千の八幡社の総本社にあたります。奈良時代から平安時代にかけて八幡信仰、仏教が融合した「神仏習合」発祥の地であることでも知られています。日本は元々、「八百万神」と呼ばれるほど、森羅万象に神を感じ、信仰されてきました。一方、国東半島では、山に対する感謝と畏敬の念を持ち、山の神を信仰してきた山岳信仰が発生していました。

神の信仰と外来の宗教である仏教が一つに調和した神仏習合の大らかな思想は、山や森、木々や巨岩を敬う国東半島の豊かな地だからこそ、生まれ、受け継がれた文化だとも言えるでしょう

神と仏が共に在る地

気高く美しい国宝、富貴寺

国東半島の幾多の寺の中で特に美しさを誇る寺が富貴寺です。石造の仁王像が迎える仁王門をくぐり、石段を登りついた先に佇む大堂は、秋には鮮やかな紅葉に染まる大木に護られているかのよう。

富貴寺大堂は平安時代末期の12世紀後半に築かれた阿弥陀堂形式の九州最古の木造建築です。

荘厳でいて、和やかさに満ちた大堂は、当時の豪族たちのしあわせを念じる姿を想像させながら、平安の文化を今に伝えています。

富貴寺

川を護り、山を見下ろす不動明王

国東半島を巡ると圧倒されるほどの切り立つ山々に出会います。奇岩の多い山々は僧侶たちの山岳修練の場でもありました。

天念寺は718年に仁聞菩薩によって創建されたといわれています。天念寺裏の秀峰には厳しい修行のためにあえて危険な場所に架けられた「無明橋」があります。そしてこの寺の前に流れる長岩屋川に佇む不動明王。昔は幾度となく氾濫し、その水害を防ぐために、祈りを込めて大岩に彫られたのが不動明王です。

また、山麓には、鬼が一夜にして築いたという伝説が残る石積みの坂を登ると、岩壁に彫られた巨大な磨崖仏が出現します。豊後高田市田染の田原山(鋸山)西側に位置する熊野地区にある熊野磨崖仏。凛とした表情の阿弥陀如来、力強さの中にも優しさを醸し出す不動明王、二体は見事に山麓の景観と一体になっています。

山を見下ろす不動明王 無明橋

千年を超えた美しい水田を守る農業遺産

黄金色に色づく稲穂が里山一面に輝く頃、田染荘は実りの季節を迎えます。半島の西側に位置する田染郷(現・豊後高田市田染地区)は、六郷の中の一地域。743年の墾田永年私財法の成立で、原野だった地は豊かな水田地帯へ。宇佐神宮の荘園として「本御十八架荘」の最も重要な一つとして数えられていました。狭く小さな土地の地形を工夫、利用したことで、この地ならではの美しい水田が誕生。今も尚、平安時代、鎌倉時代の景観のまま、集落や水田の位置がほとんど変わらずに残されています。

さらに効率的な土地・水利用が実践された「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島の綱井区農林水産循環」が、次世代に継承する伝統的な農業のシステムとして、世界農業遺産に認定されました。自然に寄り添い、あるがままの地を愛し、不便さを創造力で補ってきた国東の農業文化は、人に、地域に、脈々と受け継がれているのです。

※世界農業遺産とは…
次世代に継承すべき重要な農林水産業や生物多様性、農業景観を有する地域をシステムとして国連食糧農業機関(FAO)が認定するものです。

美しい水田 美しい水田

鬼、キツネ、ケベス 半島に残る奇祭

鬼が踊り、キツネが舞い、ケベスの面が火を放つ。日本でも他に例を見ないほどの奇祭が、この地には受け継がれ、残されてきました。
夏の奇祭は姫島村に伝わる盆踊りのキツネ踊り。鎌倉時代の念仏踊りから発展したといわれています。また、秋になると岩倉社という神社で行われる火祭り、ケベス祭りが開催されます。

奇怪な面を付け「ケベス」になると、燃え盛るシダの山を守ろうとする白装束の「トゥバ」に突進し、最後には「トゥバ」と共に、火の付いたシダで参拝者たちに向けて火の粉を散らします。火の粉を浴びると無病息災になるといわれる奇祭は、「ケベス」「トゥバ」の由来も意味も謎に満ちています。

キツネ踊り

さらに冬の旧正月の七日の夜には、火が灯り、鬼が舞います。

六郷満山に千年以上前から伝わる国東ならではの奇祭、「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」は、天念寺、成仏寺、岩戸寺の三寺でのみ行われています。平安時代から五穀豊穣を祈り、感謝する修行会と節分の夜に村に災いをもたらす鬼を、火を焚き、祈り、追い払う行事。この二つの儀式が合わさり、行われるのが修正鬼会といわれています。

古くから、人から人、家から家へと語り継がれ、地域が一体となって受け継いできた貴重な行事。神仏習合の信仰心とともに、自然と文化と歴史を敬い続ける国東の民だからこそ、今もなお続けられているのです。

修正鬼会

豊かな地の側らに豊かな食

信仰の時、祝いの時、祭りの時、農作業の後、大漁の時…常に暮らしの側らにあったのは、国東の豊かな食材でした。特に別府湾、伊予灘の海に囲まれた半島ならではの新鮮な魚介類は、昔から酒の肴として重宝がられました。豊かな自然の恵みに村の人たちは、魚をさばき、野菜を煮つけ、家族に振る舞い、客人をもてなしてきました。そして笑い声とともに酌み交わされていた地元の酒。百年以上続いている萱島酒造の酒も、地元の人に愛されてきました。信仰も自然も食も共にあったこの土壌こそが、旨し酒を生み育ててきたのです。

新鮮な魚介類